秩父巡礼③2008年04月24日 10時57分26秒

巡礼道の木札
4月22日。
「道の駅ちちぶ」に車を置き8時半歩き始める。
秩父市街地から荒川をはさんで反対側の「秩父ミューズパーク」方面へ。〈柔らかい新緑の薄緑が眼に優しい)

23番 松風山音楽寺  (臨済宗南禅寺派) ご本尊 聖観世音菩薩
天長(824~33)の頃、慈覚大師が巡錫の折、この地に聖観音像を刻んで安置した。
このとき小鹿があらわれ山上まで大師を導いたとも言う。秩父札所開創十三人の聖者がこの地の松風の音を聞き、菩薩の音楽と感じ寺名としたと伝えられる。

ミューズパークの展望台の下の山道→

24番 明智山法泉寺 (臨済宗南禅寺派)  ご本尊 聖観世音菩薩
越後の泰澄大師が武蔵の国を巡錫している時、霊感があったので腰につるした剣を抜き、枯木を三つに切り、その一つで聖観音像を刻んだ。時に養老元年(717)のことである。大師は残りの木材を人々の与えたが、これらのものは万病に効力があったといわれる。

車の通りの多い道を避け「江戸巡礼古道 久那みち」を通って25番へ。

秩父巡礼④2008年04月24日 11時56分12秒

「石のお手判」
25番 岩谷山久昌寺 (曹洞宗) ご本尊 聖観世音菩薩
昔欲深な女が山にこもって悪行を重ねた。村人は思い余って女を荒川に投げ入れたが一命をとりとめ、久那の岩屋に住みつき、女子を出産した。子供は親に似ず美しい心の持ち主で、成人してから母の菩提を弔うために観音堂の建立を発願し、行基菩薩作の聖観音像を安置して宿願を成就した。これが寺のはじまりといわれる。

御手判寺とも言われ「石のお手判」がある。
このお手判をうけるといつも身も心も守られ理想の世界に導かれると伝えられるもの。
寺の前に大きな池があり池に写る本堂は絵になる。秩父市街から離れ武甲山の西まで来た。ここから29番から市内に向かってまわる。→

29番 笹戸山長泉院 石礼堂(曹洞宗)  ご本尊 聖観世音菩薩
天正天皇(715~23)の頃、山麓の淵から不思議な灯がもれ、そこへ十余人の僧がきて小笹の茂る岩屋の中より聖観音像を見出し堂を建てて安置した。現存の本堂は文政のころの再建といわれる。もとは岩山の崖の下にあったが、火災のため現在地に移築されたとつたえられる。
浦山川をせき止めてダムが出来、その下をとおって28番へ。

28番 石竜山橋立堂(曹洞宗)  ご本尊 馬頭観世音菩薩
百観音霊場で馬頭観世音を本尊とするのは西国二十九番松尾寺とここ橋立寺のみ、弘法大師が止錫して柚子の老木をもって刻んだ伝えられる。武甲山西麓の切り立った岩屋に御堂があり、奥の院は橋立鍾乳洞として知られている。

秩父巡礼⑤2008年04月24日 17時18分30秒

27番竜河山大淵寺(曹洞宗) ご本尊 聖観世音菩薩
行者の宝明が病のためにこの地で倒れた。そこへ弘法大師が立ち寄り自刻の聖観音像を与えた。やがて観世音の力によって宝明の病気は全快した。宝明は堂宇を建立して観音像を安置した。これが寺の草創で、その頃山の上にあったという。そして月影堂とも呼ばれていた。

総開帳期間からか参拝者が多い。バスツアーも。納札や奉納もあるようだ。ここでは「ほら貝」を吹くご一行様とであった。


22日最後のお寺へ
26番万松山円融寺(臨済宗建長寺派) ご本尊 聖観世音菩薩
この山に弘法大師が止錫して護摩を修法をされ、その間に霊感を得られた。後に恵心僧都が本尊聖観音像を安置し、村人をうながして堂宇を建立した。そして秩父太郎重弘が再興したという。また観音堂を管理している円融寺には貴重な絵馬や勝軍地蔵像などがある。

ここでも「ほら貝ご一行様」と一緒になる。なかなか迫力ある奉納だった。

「道の駅おおたき」で温泉に入る。

秩父巡礼⑥2008年04月24日 21時04分53秒

ニリンソウの群落
4月23日〈水)
残り30番~34番まで5札所予定。
道の駅「あらかわ」に車を置き30番札所に向けて8:00出発。
途中「ニリンソウ」の群落。ここには「カタクリ」もあるという。

30番瑞龍山法雲寺(臨済宗建長寺派) ご本尊 如意輪観世音菩薩
本尊如意輪観音像は。元応元年(1319)建長寺の道隠禅師が唐より奉持したと伝えられ、この観音像は、唐の玄宗皇帝が愛する楊貴妃の菩提を弔うために自ら彫刻し、不空三蔵が開眼したといわれる。寺には五枚の古い納札が保存されている。

お土産に楊貴妃にあやかって如意輪観音の根付を購入。
30番から31番まで徒歩で行くとどれくらい時間が掛かるか納経所で聞くと4時間という。
車を置いているから戻ってくるにはさらに4時間・・・・
あきらめて31番までは車で行くことにした。

せめて31番の2km位手前で車を止めて徒歩で向かう。
途中(番外)地蔵寺をお参り。  10、000体以上の水子地蔵が山の斜面に並んでいる。

31番 鷲窟山観音院(曹洞宗)  ご本尊 聖観世音菩薩
行基菩薩作と伝えられる本尊聖観音像があるとき姿を消された。後日畠山重忠が鷲の巣の中なから観音像を発見し堂宗を建立して安置した。その後修験道の道場として盛んであったが、明治の神仏分離で往時の面影を失った。仁王門の石の仁王様は例を見ない巨大なもの。

山門から本堂までは急な300段の石段で九十九折の石段の両側に多くの句碑が奉納されている。

32番も小鹿野のクアハウス(温泉)からハイキングコースを尾根伝いに行き(約2時間)この日の最後にした。

32番 般若山法性寺 ご本尊 聖観世音菩薩
奥の院の船形をした巨像に観音菩薩と大日如来をまつることから、「石船山」の山号がつけられている。本尊の聖観音菩薩像は行基菩薩の作。舞台つくりの本堂は宝永四年(1707)の建立。寺には秩父札所の成立を探る重要な資料となる長亨二年の札所古番付がある。

4時帰路に付く。
今回34番までと思ったが、距離があり結局33番34番が残った。